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Timothyのクリスチャン生活
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ひよっ子クリスチャンのTimothyが、聖書の一節、あるいは教会の牧師先生や兄弟姉妹たちの一言から感じたことを綴ってみたいと思います。
このブログを通して、一人でも多くの人が神様の愛を感じ、聖書に興味を持ってくださったり教会に足を向けてくださればうれしいです。
いかんせん、ひよっ子クリスチャンですから、あまり難しいことはまだわかりませんし、気軽に読んでくだされば、と思っています。
もし諸先輩方がお読みになり、違う解釈等がありましたら、指摘していただければ幸いです。
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礼拝者学校

2006/04/22 22:00
またまたお久しぶりの更新です。

先週から再び、S牧師宅での聖書勉強会がスタートし、
新しい年度が始まって、私たちの教会にも新しい兄弟姉妹が見えたりで、
気持ちも自然とリフレッシュ! という感じです。

今日からは日本語の礼拝者学校も始まりました。

これは以前、韓国語でやっていた礼拝者学校の日本語版です。

牧師先生は昨年の4月に日本にいらっしゃって、
日本語の勉強を始められたのですが、
一年でここまで上達されました。
ほんと、すごい。

常々、神様の福音を伝えるために勉強しているから上達するんだ
とおっしゃっていたのですが、
ほんとにこうして礼拝者学校を開けるまでになったことを思うと
これが神様の恵みなんだなあ、と感じてしまいます。

私も、勉強しながらも、できる限り、サポートしなければ、
と不思議と気が引き締まります。。

今回の学校は、聖書勉強も全くしたことない人でも一緒に勉強できるような、
ほんとの入門編のようなものですから、
これを読んでいる方の中でもし興味ある方がいらっしゃいましたら
ぜひのぞきにきてくださいね。
あ、ほかの教会に通っている方でも大歓迎です。

今週から毎週土曜日、6週間の日程で、
10時から(だいたい)12時まで
東京渋谷福音教会で行っています。
地図はこちら→  http://www.shibuyachurch.org/home/map.php
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ただいま

2006/03/31 22:37
久しぶりの更新です。
韓国から帰ってきました。
・・・とは言っても、もうかなり前のことなんですけどね。

日曜日はY兄弟が小さい頃から通っていたという教会に行って来ました。

さすが、昔から通っているというだけのことはあって
教会に入ったとたん、みんなから握手の嵐。。
久しぶりに行ったんですから、当たり前ですよね。
でも、となりで見ながら
あー、懐かしい我が家に帰ってきたような感じなんだろうなあ
なんて思ったりして。

まさに、教会って、家族みたいなものなんだな
って、改めて感じました。

礼拝は、ちょっとハイペースで。
うかうかしていると次にいってしまい
読む場所とか、見つからないままに終わってしまうこともしばしば。
その辺が韓国のお国柄なのでしょうか??

午後からは青年部の礼拝、ということで
主に賛美をし、礼拝をしました。

小さな教会だったのですが、
だからこそ、人と人のつながりが濃い、暖かい雰囲気で
とてもよかったです。

ちびっ子にしてみれば、「日本人」がよほどめずらしかったのか
私は最初から捕まって質問攻め・・^^;
それもいい思い出です。

機会を見つけて、また行きたいな・・。

Y兄弟の家族は、お父さん、お母さん、お兄さんの4人家族なのですが、
みんなクリスチャンでした。
お兄さんは神学科を卒業したとか!
夜はみんなで家庭礼拝もしました。
なんか、日本にいる時よりもたくさんお祈りしたかも。
でも、神様の恵みをたくさん受けている家庭って、こういうのかー
と思ってしまうほど、なんか、ほんわかとして、暖かさを感じました。
ま、Y兄弟を見ればなんとなく想像はついたんですけどね。。。
それでも、やはり、確信した、というか。

火曜日の夜も賛美の礼拝に行って来ました。
何でも、アメリカに本部がある宣教チームの韓国版、みたいなもので
(名前は忘れました・・ToT)
賛美はまるでライブみたい!!
何百人もの人が一同に集まり、コンサートさながら賛美をしました。
ほとんどが若者、というせいもあったのでしょうけど、
熱気というか、パワーに圧倒されました。
講堂?の床がぐらぐら揺れるんですよ! ほんとに。
これもまた行きたいなあ・・。

なーんて、思い出しながら書いていると、
ほんとにまた行きたくなってしまいます^^;
とにかく、今回の旅行もおかげさまでとても恵まれたものになりました。
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韓国へ・・

2006/03/10 16:04
明日から教会のY兄弟と韓国に行って来ます。

Y兄弟は去年の途中からうちの教会に通い始めたのですが、
とても信仰深い人で、
時間がある時は毎日のように教会に通ってお祈りをしています。

きっと、これまでも、これからも、
神様の恵みをたくさん受けていたんだろうなあ。。
と、しみじみ思います。
そういう姿を見ると、私もああなりたい、と思うんですよね。

まさに、彼も私の目標とするクリスチャンの一人。

日曜日は韓国の教会に、
そして火曜日の晩も礼拝(?)に行く予定です。

話には聞いたことはあったのですが、
実際に行ったことはないので、どんな感じなのか楽しみ。
国が変わると、礼拝の雰囲気も変わるようですからね。

帰国後の報告をお楽しみに。。。

それでは行って来ま〜す!
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辛い時、悲しい時

2006/03/09 11:21
「悲しむ人々は、幸いである、/その人たちは慰められる。」
マタイによる福音書5:4

これはイエス様の「山上の説教」と呼ばれる、
私たちが生活の上で守らなければいけないことの教えを説いた部分の一節です。

生きていると、辛いことや悲しいことにたくさん出会います。
特定の宗教を持っていなくても
そんなときはよく、神様にお願いしたり、お祈りしたりしますよね。

初詣で、今年一年○○に過ごせますように、とか
受験で、○○大学(高校)に合格できますように、とか
あるいは、仕事や勉強など、何か問題に直面した時に、
それをうまく乗り越えられますように、とか。

困った時、辛い時、悲しい時。
そんなときほど、私たちは神様の方に向かって
神様の存在を信じ、感じることができます。

もちろん、人生いいことばかりで、
辛いことなんてないに越したことはないのかもしれませんが、
そうやって神様は、時に私たちに存在を気づかせてくれるのかもしれません。

ですから、辛い思いをして、神様を感じられた人は幸いなんですね。
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「愛」について。。

2006/03/07 22:58
昨日、「愛」についてのお話をしたのですが、
今日も続きを少々。

神様の愛は無条件であり、限りなく深い、とありますが、
そもそも神様が人間(アダム)を作ったのは
「愛」の対象を得るためだったんですね。

神様の本質は愛である、とはいっても、
「愛」は相手がいなければ成り立ちません。

アダムとエバがエデンの園にいた頃は、
神様と人間は直接愛し合う関係だったのですが、
罪を犯してエデンの園から追い出されたため、
現在、この世で生活している私たちは、神様との関係は断絶され、
その愛を感じることは少し難しくなっています。

そのため、その代わりと言っては何ですが、
私たちは同じこの世に住む人間同士、愛し合うように言われているのです。
それはもちろん、好きな人、だけではなく、
えり好みをせずに、あらゆる人に対して言えることなのです。

有名な、
「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい」
(マタイによる福音書5:39)
という一節も、敵をも愛しなさい、という意味が込められているのです。

目に見える、すぐそこにいる人間も愛せないようなら
目に見えない神様を愛することもできない、ということなのですね。

現実的にはなかなか難しいことなのですが。。。

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結婚式

2006/03/06 22:55
先週末は友人の結婚式に出席するため、大分に行って来ました。

九州はこれまで、福岡に二回行っただけなので、
もちろん、大分は初めて。

チャペルでの式だったのですが、その中のお説教の中で、
「愛」の話が出てきました。
「愛」があるからこそ
強くもなれ、忍耐強くもなれ、
思いやりを持って、優しく接することができる。。。

「愛」には、ギリシャ語では実は4種類があります。
つまり、
一つ目は「神様の愛」
二つ目は「親から子への愛」
三つ目は「友人(隣人)への愛」
四つ目は「男女の愛」

神様から人間への愛は無条件の愛ですが、
親からの愛はそれに最も近いものかもしれませんね。

男女の愛は、時には強く、時にはもろく・・・
でも、「愛」と言ったらまずこれを浮かべるように、
最も「愛」を身近に、直接的に感じるのはこの「愛」なのかもしれません。
「神様の愛」と言われてもぴんと来ないかもしれませんが、
そうやってだれかに愛されている時、
きっとこういうことが、「愛」なんだなあ、なんて、、、感じませんか??

もちろん、「神様の愛」はそれよりも遙かに深いものなのですが・・。
もろさもありませんしね。

結婚した友人はもちろん、
世の中のカップルたちがみんな、
お互いの「愛」を通して、「神様の愛」を感じられますように。。。
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聖書の味わい方

2006/02/27 22:28
聖書の味わい方には5つの方法があると言われています。
すなわち、

1、読むこと
2、聞くこと
3、勉強する(理解する)こと
4、暗記すること
5、黙想すること

です。

「読むこと」とは、字のごとく、一人で聖書を読むことですね。

「聞くこと」は、日曜日のメッセージのように、
牧師先生や兄弟姉妹の話を聞くこと。

「勉強すること」は、書いてある内容がどんなことを意味しているのか、
神様はその文を通して何を私たちに教えようとしているのか、
を考え、理解することです。

ここまではそれほど難しいことではありません。

「暗記すること」
・・・これは少し難しい。
昔は暗唱テストとかもそれほど苦手ではなかったような気がするのですが、
年のせいなのか(?!)最近はなかなか。。。
でも、日常、聖書に書いてあることを模範として生活するクリスチャンとしては
覚えていないと、いざというときにもそのような行動がとれません。
そういう意味でも、「暗記すること」はけっこう重要なことなのです。

ここまでできれば、ある程度聖書を味わうことができるのですが、
さらに完璧に味わうためには、「黙想すること」が必要になってくるのです。

聖書を読み終わった後、心を落ち着けて、
その内容の意味を考える・・・。
そういう部分では「理解する」のと少し似ているのかもしれませんが、
お祈りを通して、神様が何を伝えたいのか、
自分がどのように行動すればよいのか、教えを請う、
など、いろいろなことを心に浮かべるのです。
頭ではなく、心で理解する、といったところでしょうか。

私はまだ、この「黙想する」、という部分がうまくできません。
でも、5本の指を使わないとがっちり聖書がつかめないように、
この5つの要素すべてそろって、初めて聖書が味わえるのだそうです。

早く味わえるようになりたい・・・と思う今日この頃です。
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テサロニケの信徒への手紙一5:16-18

2006/02/17 23:11
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
どんなことにも感謝しなさい。」

これは私がどうしようもないくらい落ち込んでいた時、
H姉妹に教えてもらった箇所です。

「絶えず祈りなさい」 はわかるけど、
なんでこんなに辛い時に、
なんでこんなに落ち込んでいて、何かする力さえもない時に
「喜んで」、「感謝し」なきゃいけないの??
そんなの、絶対無理!

最初に聞いた時は、正直、そう思いました。

でも、いくら力が出ないといったって、お祈りする力はある。
そして、神様にお願いすることもできる。

こんなに辛くて、こんなに落ち込んでることも
神様はみんなわかってくださっている。
ましてや、お祈りまですれば、きっといい方向に導いてくださる。
・・たとえそれが、自分の望む方向ではないにしても・・・・。

そう思えた時、なんだか気持ちがすーっと楽になったような気がしたのです。
これが神様の愛なのかしら?

辛い、苦しい、と思っていると、
どんどん自分を追いつめて、
余計に辛くなったり苦しくなったりしていきます。
そして何もする力がなくなっていって・・・
悪循環ですよね。

どちらにせよ、なるようにしかならないのですから、
どうせなら前を向いて、楽しみながら答えを待っていた方が
ずっと気持ちが楽になります。
それに、その方がいい答えが来る可能性も高くなるような気も・・しませんか?
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ペトロの手紙一5:7

2006/02/16 23:01
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。
神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」

私が悩んでいる間、繰り返し目にしていた一節です。

神様はいつも私たちのことを見守ってくださっているから、
辛いことも、苦しいことも、
何のために悩んでいるのかも、みんなお見通しなのです。

そんな、辛い思いは、自分一人で背負い込まないで、
お祈りを通して、神様にお任せする・・・ということです。

もちろん、頭ではわかっていても、それを実行するのは難しいこと。

でも、きっと、誰にもわかってもらえなくても、
神様だけはこの辛い思いをわかっていてくださっている・・。
だから、きっといい方向に解決してくれるはずなのです。

どんなに悩んでも、考えても、
答えはやってくるし、それはもう、どうにも変えられないもの。
もちろん、自分でできることはベストを尽くしますが、
それより先のことは自分ではどうしようもないことなのです。

ただひたすら、お祈りして、神様がくださる結果を待つだけなのです。
きっといい方向に解決してくれるはず、、、と信じて。
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神様を感じた時

2006/02/13 21:36
Blogの書き込み、お久しぶりです。

前に書き込みをしたとき、さぼらないで書き続けなければ、
なんて思っていたはずなのに、
書き込まない状態でずるずると・・・気づけば2月ももう半分近く過ぎようとしています。

実はこの間、私自身、いろいろ大変な思いをして、悩んでいたのです。
自分ではどうすることもできなくて、
でもそういう現実は受け入れたくなくて、
これから先、こういう状況でどうやって暮らしていけばいいのか・・・

出口も、答えも見つからなくて、
ただただお祈りをするばかりの日々でした。

でもある時、そのお祈りを通して、神様を感じることができたのです。

机に突っ伏してわんわん泣いているとき、
なんだかそこが、机ではなくて、誰かの膝の上のような感覚・・
そう、子供の頃、お母さんの膝に突っ伏して泣いたような、そんな感覚です。

そして、優しく、「大丈夫だから、安心しなさい」
という言葉をかけてくれたようにも思えました。

私たちは神様から見れば子供です。
20歳を過ぎ、体や心が大きくなったからといっても、
神様の目から見ればただの子供。

子供(私)が親(神様)に泣きついてお願いをし、慰めてもらっている・・
今回のお祈りを通して、ちょうどそんな情景が浮かびました。

実は今も、この先どうなるのか、答えはわかっていません。
もちろん、どちらに転んでも(求めたとおりにいかなくても)、
その決定には従わなければなりません。

でも、神様はいつでも助けてくださる、
そして、一番いいものを用意してくださっている、
そう思いながら、答えを待つことができるようになりました。
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マタイによる福音書7:7-8

2006/01/27 23:22
求めなさい。そうすれば、与えられる。
探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。

だれでも、求めるものは受け、探すものは見つけ、門をたたくものには開かれる。


私たちはよく、お祈りをします。
お祈りは神様との対話であり、交わりであり、関係の認識であり・・
いろいろ意味はありますが、
お祈りをしていると、心が穏やかになっていくのがわかります。

人には決して言えないようなことも、
心の中で、悪かったなー、と反省していたことも、
辛いことも、悲しいことも。。
みんなみんな、神様の前にさらけ出すから、でしょうか。

もちろん、神様は常に私たちと共にいらっしゃって、
私たちが考えていることとか、みんな知っているはずなのですが、
改めて心に浮かべて、小さな、誰にも聞こえないような言葉にしてみるのです。

神様は私たちを愛してくださっているから、
聞き入れてもくださるし、求めれば答えてくださいます。
もちろん、多くの場合、時間がかかりますし、
「神の御心にかなうこと」(ヨハネの手紙一5:14)
でなければなりませんが・・・。

寝る前の、たった数分間のお祈りでも
神様の愛や援助の力を感じられるのです。

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ダニエル書3

2006/01/14 18:47
年が明けて、1月ももう半分が過ぎてしまいましたね。
今年は1日が日曜日で、新年早々礼拝をさぼってしまったし、
S牧師宅での勉強会も10日からだったので、
お正月は、クリスチャン生活的にはぐうたらな日々を過ごしてしまいました。

それでついついBlogの更新も後回しになってしまい。。。

・・と、言い訳はこの程度にして、また気を引き締めてがんばりたいと思います。

今年最初の勉強会は、ダニエル書の3章でした。

バビロニアは強大な国となり、
ネブカドネツァル王は多くの国と民を支配するようになります。
そして、金の像を造り、音楽が聞こえたらひれ伏し、拝むように命令をするのです。
もしそれができないようなら、燃えさかる炉に投げ込まれ、焼き殺す、とも。

しかし、ダニエルの友人、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの三人は、
神様だけを信じているので、もちろんそんな偶像は拝むことはありません。

彼ら3人の出世をねたむ他の役人はこのことを王に報告し、
王の前に引き出された3人は
「今、ひれ伏したら許そう」
という王様に対して、
「そんなこと、聞くまでもなく、できるわけない」
と言い放ちます。

怒った王様は三人を炉に放り込もうとするのですが、
彼らは、必ずや神様が助けてくれる、と信じて動じません。

そして、もし助からないとしても、
それは神様の計画であり、良い結果なのだから、
それに従う、と言うのです。


今にも炉に放り込まれようとしている時に
必ずや神様が助けてくれる、と信じるのもすごいことだと思うのですが、
先生の言うことには、ここまでは普通の信仰、なのだそうです。
もし助からないとしても、それが神様の計画だ、
と言えるほど、従順するのが本当の信仰、なのだそうです。

私たちは何かかなえてほしいことがある時や困った時、
よく神様にお祈りをしますね。
だけど。。
それでもうまくいかない時や望みが叶わなかった時、
それを受け入れることができるでしょうか??

たとえ自分が思ったようにいかなくても、
神様はもっと良い結果を準備してくださっている・・
心からそう思うことができるのはとても難しいことでしょうけど、
今年も一年、もっと神様に従順であり、良い信仰生活を送れるように・・・
と考えさせられた一日でした。
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God Bless You!!

2005/12/31 14:42
今日は久しぶりの書き込みです。

クリスマスが終わり、町中はいよいよ新年を迎える雰囲気になってきました。
華やかだったクリスマスとはうってかわって
静かで厳かな雰囲気ですよね。
なんだかちょっと寂しいような、身が引き締まるような・・。

今週は私の周りでもいろいろなことが起こりました。

中には、なんでそうなったんだろう、とか
どうやって乗り越えていけばいいんだろう、とか
悩んでしまうようなこともありました。

でも。。
私は人間であり、完璧ではないので、わからないことだらけなのは当然です。
大事なのは、この選択が最もよいものであり、
必ず最後はうまくいく、と信じることなのかもしれません。

そう信じて道を進んでいけば、
きっと解決する方法だって見つかるでしょうし、
この選択の意味だってわかるようにもなるでしょう。

自信ない、とか
たぶん無理だ、とか
やらないほうがいいんじゃないか、とか
後ろ向きの考えは悪魔のささやきによるものなのです。

人間だから、弱い心を持つのは当たり前。
でも、そんな悪魔のささやきに負けずに
しっかり前を向いて、進んでいきましょう。

私たちが気づかないようなところでも、
神様は守ってくださっているのですから。

みなさんにとっても、来年が実り多き年になりますように。。。
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メリークリスマス!

2005/12/24 15:21
いよいよ今夜はクリスマスイブですね。

町中にクリスマスソングが流れ、
イルミネーションで飾られて・・
そんな雰囲気の中にいると、
心が温かくなるようでとても好きです。

でも。。
忘れないでください。
クリスマスはただのイベントではありません。

イエス様が人間のためにこの世に送られ、
誕生した、とても大事な日なのです。

世の中のお父さん、お母さん!
今日はサンタさんの誕生日ではありません。
間違っても、子供たちが
クリスマス=サンタさんにプレゼントをもらえる日
なんて覚えないようにしてください。

恋人たち!
今日、ロマンチックな気分になって、とても大きな幸せを感じるのは
彼、または彼女を通して
神様の愛や恵みをもらえるからなのです。

そして・・(私と同じく^^;)恋人がいない人たち!
あなたがたは幸いです。
誰も通さずに、直接神様からの恵みを受け取ることができるのですから!

もし予定がないようでしたら、
ぜひお近くの教会に足を運んでみてください。
必ずや、すてきなクリスマスを過ごすことができるはずです!

ではみなさん、よいクリスマスを!!
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Celebration Party

2005/12/23 20:07
いよいよあさってはクリスマスですね。
今日から「クリスマス連休」も始まって、
クリスマスの雰囲気も最高潮、といったところでしょうか。
私たちの教会でも、今日は明日のパーティのリハーサル&会場準備をして
後はみなさんを迎えるだけ、になりました。

もう一度宣伝しちゃいます。

明日24日の18:00〜
東京渋谷福音教会でCelebration Partyがあります。

まだクリスマスイブの予定がない方、
一人で過ごそう、なんて考えずに、ぜひ遊びに来てください。
もちろん、参加費なんてありませんし、事前予約も入りません。

きっと、誰よりもすてきなクリスマスを迎えられると思いますよ。

行き方とか、詳しいことは
http://www.shibuyachurch.org
を参照してくださいね。

お待ちしています! ^^
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ダニエル書2 その2

2005/12/23 19:33
この、「ダニエル書」の2章で、もう一つ重要なポイントは
ダニエルが神様にお祈りをして王様の夢の内容と解釈がわかった後
神様に感謝をし、賛美をしているところです。

私たちは普段、夢が叶ったり、何か望んだ通りにうまくいったとき、
自分の努力が実ってよかった、とか
自分って意外とすごいのかも、
なんて思いがちですよね。。

でも、何かをした時は、必ず誰かの助けがあったはずです。
たとえその仕事が一人でやったことだとしても、
家で食事の準備をしてくれていた人とか
励ましてくれた人とか・・。

困った時は周りがよく見えるのに、
うまくいった時はなかなか周りが見えないもの。
目に見えないような、陰で支えてくれた人はなおさらです。

物事がうまくいったり、夢が叶うためには、
必ず、「運」と「努力」が必要なのだそうです。
「努力」は自分や周りの人の助けでどうにでもなりそうですが、
「運」はまさに神様からいただいたもの。

きっと、努力はみんな同じ位しているんでしょうけど、
たまたま神様に「運」をもらった人がうまくいっているんですね。
ですから、その「運」までも、自分の実力だなんて思ってしまってはいけません。

いつでも、謙虚な姿勢を忘れずに。
そして、感謝の心も忘れずに。

それが、恵まれた生活を続けていく秘訣なのかもしれません。
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ダニエル書2

2005/12/21 22:22
ゆうべもS牧師のお宅で聖書の勉強会でした。
昨日は「ダニエル書」の2章。

バビロニアの王があるとき、国中の知識人や占い師を集め
自分が見た夢の分析をさせるのですが、
王様は自分が見た夢を話さずに、
夢の内容とその解釈を話すように彼らに命令をします。

夢がわかればいくらでも解釈のしようがあるのですが
それだと本当のことを言っているのか判断がつかないから
王様は夢の内容は話さないのです。

そして、わからない、となると、知識人を皆殺しにすると・・。

しかしダニエルはしばらくの猶予をもらって友人3人と神様にお祈りをし、
なんとその内容と解釈がわかってしまうのです。
そしてダニエルは、神様に感謝と賛美をささげるのです。

ざっとまとめるとこのような内容なのですが。。

ダニエルはとても信仰の深い人で、神様に従順な人でした。
ですから、自分が命の危機にさらされても信仰を曲げず、神様に頼ったのですね。

牧師先生のお話では、
「頼る」、あるいは「信じる」というときは、一点の曇りもない、
100%の状態をさす、のだそうです。
少しでも信じていない部分、つまり、疑っている部分があったら、
それは信じていることにはならないのです。

確かに、「信じる」といいながら、陰で「本当かなあ・・」、なんて思っていたら
信じていることにはなりませんよね。

頭ではそうでありたいと思っていても、
実際にはなかなかそうはいきませんよね・・・。
でも、少しでも近づけるように努力しなければ・・。

神様に対してさえそんなですから、
ましてや人に対して100%信じるなんてことはとても難しいことですね。。。
その人に、ではないにしても、裏切られた経験は誰しも持っているものですからね。

でも、裏切られた、とか、だまされた、と思う前に、
本当に心からその人のことを信じていたのか、
振り返ってみる必要があるのかもしれません。
すこしでも疑いの芽があると、どんどんふくらんでいって
やがて取り返しのつかないことになります。

自分ができることは、その人を「変えること」ではなく、「信じること」だけなのですから。


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ストリートミュージック

2005/12/19 00:02
クリスマスまであと1週間ですね。
うちの教会でも、中や外の飾り付けがほぼ完了し、
いよいよクリスマスを迎える雰囲気が盛り上がってきました。

今日は礼拝が終わった後、
兄弟姉妹たちと教会を出て、町中で賛美歌を歌ってきました。

今度の土曜日、クリスマスイブに行われるパーティで使う
プロモーションビデオの撮影の一環として、なのですが。

場所は渋谷の駅前。
よくNHKのニュースの後とかに出てくる交差点の前にある
スターバックスの前です。

このBlogをご覧になっている方の中で、見かけた方はいらっしゃいますか?
・・もしいらしたら、すごい偶然、
・・いや、神様の辞書の中に偶然、という言葉はないですね。
とても深い縁でつながっています!
ぜひ24日はうちの教会にいらしてください!

以前韓国に旅行に行った際、
道ばたで賛美歌を歌っているのは何回か見たことがありましたが
日本ではあまり見かけません。
・・単に私が知らないだけ??
言うまでもなく、私にとっては初めての体験でしたが、
とても楽しく、すがすがしい気分になりました。
もしかしたら教会の中で賛美するよりもすっきりしたかも。
癖になってしまいそうです。^^;

とにかく、ほんと、神様は私にいろいろな体験をさせてくださいます。

黄昏時の渋谷はカップルや友達同士と思われるグループ、
そして一人、道を急ぐ人・・
たくさんの人が通り過ぎていきました。

立ち止まって聞いてくれた人、そのまま通り過ぎて行った人、反応は様々でしたが、
その一人一人が、神様の恵みをたくさん受け取って
本当の、よいクリスマスを迎えることができますように。。。
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人に仕える

2005/12/17 21:19
「神様に喜ばれるようなこと」をする、とはどういうことなのか・・?

最もわかりやすく言ってしまうと、イエス様のような人になる、
ということです。

そして、イエス様のようになるために、
一番手近にできることは、人に仕える、ということです。

ボランティアに参加すると、お金とか、損得はまったく考えなくても
心が温かくなったり、
気分がすっきりしますよね。
そういう気持ちを想像するとわかりやすいかもしれません。

とはいっても、私たちは今の競争社会の中で生きていて、
常に上(トップ)を目指して努力しているんですよね。
ですから、人の下で働く、とか、人を支えるために働く
ということなんて、普通考えません。

ましてや、そういう人を目指す、なんてことは・・。

でも。。
確かに、トップを目指して突っ走るのは、とても大変なことです。
最終的にトップに上り詰めるのはたった一人だし、
そこに至るまでには人をだましたり、蹴落としたり・・
自分がそうしたら、他人からもそうされるかもしれない。
運良くトップに上り詰めたとしても、
誰かが虎視眈々とその地位を狙っている、と考えただけで不安になります。

今の社会って、そういうのが渦巻いているから
人間関係に疲れたり、人を信じられなくなっているんだと思いませんか?

イエス様のようになろうと、人の下に行こうとすることは
誰か、人に認められようとすることではなく
神様に認められようとすることなのです。
だから当然、裏切られたり、疑心暗鬼になることもないのです。

・・もちろん、この社会で生きていく上で、それを目指すのはとても難しいことです。
でも、何でも「競争」や「勝ち負け」で片付けてしまわないでください。
もし何かうまくいかなくても、「競争」に負けたわけではありません。
そんなときは、自分のために何かをするのではなく
ちょっとでもいいから人のために何かをしてみてください。

あなたががんばっていれば、神様は必ず見ていてくださりますよ。


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永遠の命

2005/12/14 13:31
昨日は祖母の命日でした。
人の死は、やはり悲しいものですよね。
私も昨日は、昔のことを思い出しながら、ちょっと切ない気分になりました。

ただ。。
聖書の中では、
私たちは心にイエス様を受け入れた時から神様の子となる資格が得られ、
死んだ後は天国に行って、永遠の命を得ることができる、とあります。

つまり、ですね・・
私たち人間は、ずーっと昔、アダムとエバの時代に罪を犯し、
神様の国であるエデンの園から追い出され、
この地で生活するようになったのです。
その時に永遠の命も失い、命も限りあるものとなったんですね。

しかしイエス様がこの地に降り立ち、
十字架にかかって死んでくださったことで、神様の国に行く道が開かれたのです。

なので、心にイエス様が住んでいる人は天国に行くことができる、というわけです。

この世での生活はいわば仮の姿、というか、
天国に行くための準備期間なんですね。
そして、その準備がすべて終わった人が、神様に呼ばれて天国に行くのです。
だから、「死ぬこと」を「天に召される」と表現するんです。

天に昇って神様の国に入る時、私たちは神様から、
この地でどのように生きてきたのか、どんなことをしてきたのかを聞かれます。
だから私たちは、この地でたくさん「神様に喜ばれること」をしなければならない、
と思うんですね。

・・と、頭では理解しているつもりですが、
まだ実際に「死」に直面したことのない私は、
直面したとたんにうろたえてしまうかもしれません・・。

でも、そういう時にこそ、真のクリスチャンかどうかが試される、
と、ゆうべの勉強会の中でS牧師に習いました。
「その時」はいつ来るかわかりませんが、
すこしずつ、心の準備をしていかなければならないんですね・・。
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